病院で他科診療してもらったときに思ったことなど
最近Twitterで人力胸が痛いbotになっています。一時はうなされるくらい痛かったので、近くの外科・内科と、かかりつけ皮膚科があるの病院の乳腺外科で診てもらいました。まあ「生理現象だから痛み止め飲んで耐えて♥」って言われてしまいましたが…
というわけで、今回は個人的に思った病院をうまく使うポイントを挙げてみました。ちゃんと話を通して診てくれる安心感は病院ならではかなと思います。
注意
当たり前ですが病院によってはこの通りではありません。診療科がない場合はもちろん、その他の場合でも他院の紹介になることもあるかと思います*1。なお、どこに通っているかは都内の病院であること以上はお教えできません。
総合病院ならかかりつけの先生に相談しよう
まずはこれにつきます。私の場合は普段の問診のあと、「皮膚科の領域じゃないと思うんですけど、最近胸が痛いのですが、何科にいけばいいですかね…」と伝えてみました。
この辺は総合病院、そのあとは服薬歴や最近のできごと、それから「みてもらえる科目を紹介してほしい」と伝えると、対応する科の先生に紹介状を書いくなどの手配してくれました。
なお、これをやっておかないと、大きな病院*2の場合「特定療養費」という名目で余計にお金がかかります。病院によってはかなり高いので、ちょっと面倒ですが必ず話を通しておきましょう。
紹介してもらうとどうなる?
私の通っている病院では、今年の6月ごろから診察受付やカルテ、会計のシステムが電子化されました。紹介状をもらわなかったので、院内の他科紹介であればそのシステムを使ってペーパーレスで処理できるようです。
さっそく皮膚科の診察を受けた次の日に乳腺外科の診察を受けました。初診受付の窓口で「皮膚科の先生から紹介されました」と言ってくださいといわれていたので、申告がないと探しにくいようです。
あとは科目ごとの受付で普段通り問診票にいろいろ書き込んで、必要であれば体温や血圧を測ってから診察を待ちます。
体の不調は我慢しないように
長生きしたかったら相談です*3。我慢しないようにしましょう。どこかが痛い、なんかだるい、眠れない。我慢し続けても解決しないのであればまずは相談しましょう。そのためのかかりつけ医です。今回みたいに、専門外のことでもいいので相談してみましょう。先生が自分の領分じゃないと思ったらちゃんと診てくれるところを紹介してくれるはずです。なお、紹介状があると優先的に診察の順番を回してくれるケースもあるので、なるべく「何科に行けばいいですよ」というのを聞き出すのはもちろん、紹介状を出してもらうのをおすすめします。
飲んでいる薬は把握しておこう
とはいえ、大抵のお医者さんは専門科目以外のことはよくわかりません。紹介状を書くときにどういう薬か間違えるくらい分からないと思っていいです*4。自分が何の薬を飲んだり塗ったりしているか、ある程度説明できるようにしておきましょう。今は私の場合は2か所のかかりつけからそれぞれ別の薬をもらっているので、それが何で、どういう目的でもらっているのかを説明する必要がありました。
保険診療は神、はっきりわかんだね
初診料と検査料で1,270円だったからとても良心的だし、診療報酬の点数決まってるから言い値じゃない安心感ある
— ゆうなんとか@25+22 (@yuu_hara) 2015, 10月 24
今回は初診料73点、胸部エコーと問診、触診の検査料が350点、負担3割で1270円でした。半年くらい前にとある事情で言い値の検査を受けて診断書をもらったのですが、そのときは初診料以外が「文書料」という名目でまとめられてしまって、かつ妙に高かったので今回は安心できました。
自分の満足できる結果を引き出すには洗いざらい吐いたほうがいい
処方箋外で飲んでいる薬がある、いうのが恥ずるかしいような症状があるなど、いろいろ言いたくない事情はあるかもしれませんが、体調面での隠しごとはやめたほうがいいでしょう。いつまでも不安が残るので。そう考えると、問診で自分の症状や服薬歴を伝えるのってすごく大事です。近くの内科ではそれをやらなかったので、いい結果が引き出せませんでした。胸部レントゲン撮られて痛み止めをもらっただけだったし、あんまりいい印象じゃなかったので…
今年の医療費が結構な額ので医療費控除のルールを調べていた
個人的に長かった今年もあと70日くらい。前回の記事のとおり大変でしたが、同じくしてとある理由でかかりつけが増えて医療費もかさんでしまいました。
額にして11万円ほど。11月と12月にはそれぞれ1万円ずつくらい飛んでいきそうなので、トータルすると13万円くらいになります。1年の1/3無職してた身としてはつらい。
さほど多くない額だとしても、もらえるものはもらっておきたいということで、医療費控除について調べてみました。
対象期間と控除対象について
控除の対象になる期間は、その年の1月から12月までに自己または自己と生計を一にする者*1に対して支払った医療費です。健康保険で負担してない分や、生命保険、一時金などでお金が戻ってきたり補填されたりした場合はそれらの額を引いたものが対象になります。
額は10万円または年間所得の5%のうち少ないほうのどちらかを超えた分が対象になります。
ただし、医療費だからといってすべてが対象になるわけでもないですが、純粋な医療費以外であっても対象になるものがあります。
対象になるもの
戻ってくる額
実際のところは「控除」なので支払わなくてよくなった分が戻ってきます。
住民税の場合は一律対象額の10%、所得税は収入に応じて控除額の割合が変わってきます。
課税所得 | 還付金率 |
---|---|
195万円以下 | 5% |
~330万円以下 | 10% |
~695万円以下 | 20% |
~900万円以下 | 23% |
~1800万円以下 | 33% |
1800万円超 | 40% |
収入が少なすぎる場合はそもそも支払わなくていい額が少ないかないので戻ってはきません。世帯での医療費がまとめて対象になるので、なるべく所得の多い人が申請したほうが、控除額が大きくなります。
前の前の会社を辞めて、新しい会社に勤めて辞めて、また新しい会社に勤めることになりました。
そういえば半年くらいぶりな気がします。
お久しぶりです。しばらくはあまり書く気になれなかったというか、引き出しが空っぽになってしまった感があったのでかけなかったというのが正しかったかもしれません。
習慣づけてまたやっていきたいなと思うので、リハビリがてら月一か週一くらいでかけたらいいかなあと思っています。
さて、去年の暮れに会社を退職したわけですが、それからタイトルのとおり色々とありました。
前の前の会社を退職する
ざっくり説明すると
- 会社の業績が傾いてしまったらしい
- 取締役が仲たがいをしてしまったらしい
- 最初は分社化してエンジニアがそこに移籍する予定だったらしい
- それがご破算になり、巻き込まれるかたちでエンジニアと面倒を見てもらったPMが全員退職することになった
あとで知ったのですが、あわや倒産かという感じだったらしいです。
なお、会社はまだ存在しています。なんとか食いつないだようです。
私が作っていたアプリも半年近くの沈黙のあとアップデートされていたので、こちらもひと安心。
ただ、仲の良かった他のメンバーものちに会社を離れているようで、全く別の会社になってしまったのだろうなと思っています。
しばらく無職してた
といっても数週間くらいです。そしてまったく休む暇なんてなかった気がします。
1月に前の前の会社に呼ばれて、業務請負で再雇用してやる、みたいな感じのことを言われたのですが、この条件で働いたら死にそうな感じだったので蹴りました。
さすがに最低賃金以下で200時間働け、はたらなかったら時給換算で働いたらもらえた分の125%くらい減額な、という誰もがドン引きするレベルの書類渡されて、その場で破りたい衝動に駆られながら労基署に殴りこまざるをえなかったのは内緒
急だったのもあって貯金なんてほぼほぼなかったので、2月には超短期ですが仕事を請けていました。色々やらかしてしまってって常駐することになったので大変でしたが、持ち直した感じだったのでまあよしかなと…
また、前の会社と雇用契約を結んで、3月から入社することになります。
そして再就職
3月からはゲームを作る会社に勤めていました。前の前の会社のメンバーがほぼまるっと移籍してきて、仕事の内容こそ変わったものの、居心地はいいものでした。慣れた仲間と仕事ができるというのは、入社してゼロから人間関係を作っていくのに比べるとすごく楽です。
私は担当になったプロジェクトで中心人物になっていて、私自身もコードを書いていたのですが、それだけでなくてエンジニアのタスクの可視化や、同僚からのC# に関する質問に答えていました。
しばらくすると助っ人が2人やってきて、彼らの面倒を主に見る立場にもなりました。通しでいたメンバーは結局私とあとひとりだけでしたが、もうひとりは4月に復学したのでこうなるのも当然の結果といえば当然の結果ですね。
なお6月くらいに心労がたたったのかビールキャラメル1個で酔いつぶれる事件を起こして半日死にます。
会社の引越し、そして燃え上がるプロジェクト
5月に会社のオフィスが引っ越しました。
他の場所で働いていたメンバーも一同に集まれるほどの広いオフィスで、さーてこれからどれくらい大きくなるのかなー、楽しみだなーと思っていました。
しかし、ほどなくしてプロジェクトの進捗が思うように進まなくなってきました。もともとスケジュールがタイトな感じでしたが、メンバーの作業領域がかぶるようになってからいっきに足がにぶりました。結合するときに苦心するようになった感じです。そして、足がにぶり始めると流行病のように、ひとりまたひとりと、体調を崩して休む人が現れました。私とて例外ではなく、月に2度ほど予約していた診察を受けに早退していましたが、それ以外でも月に1回くらい寝込んでいました。生活も含めて環境ががらりと変わったこと、マネジメントに近いような慣れない仕事を、十分な権限を与えられることなくこなし続けていたストレス、遅々として進まない仕事、原因はいくらでも考えられます が、過ぎたことだし今考えるべきはそこではなくてこうならないようにするにはどうすればいいかな気がするのでどうでもいいや 。
という感じで、プロジェクトの雲行きはあまりよろしくなかったものの、残業は思ったほどなかったし、かかりつけの診療所で診察を受けるために早退することもできました。そういう意味で融通はきかせてもらえましたし(きかせてもらえないとQoLが地を這って仕事どころではなくなるという理由もあるけれども)、悲壮感が色濃く漂いこそすれ職場環境はそれなりに良かったままの退職だったと思います。
そして7月。周りがすっかり夏服になり、順調に無職していた頃の負債が減っていって、よし、年末には返しきれそうだなと思っていた矢先、それは告げられたのでした。
会社が、なくなる…
8月の給料が払えるかどうかも怪しい、9月は無理だからこれ以上は雇えない、そう告げられました。
私の関わっていたプロジェクト自体は、初期納品こそ終わったものの、ついには私たちだけの手で日の目を見ることは叶わないという通告でもありました。
ほんとうに「まさかこのタイミングで…」という感じでした。
すぐさま上司の方からいくつか会社を紹介され、次の日から私のすることでいちばん時間を食うものが転職活動になりました。オフィスに来ても面談のオファーに返事を書いたり、面接の日時調整のメールを送ったりする日々。もちろん仕事もしていましたが、やる気が底をついてしまってほとんど手につかなくなってしまいました。
難航する仕事探し
上司の方から紹介してもらった会社はいずれも力及ばず書類選考で全滅。幸先の悪い転職活動の船出となりました。
ほどなくして自力で仕事を探すことも始めました。まともな就活をやってなかったのもあって、エージェントに登録したり履歴書を書いたりするのはある意味新鮮だったので、それはそれでよしかなくらいに開き直ってないと本気で死にそうでした。エントリーしても書類選考の段階で、よくわからない理由をつけてバシバシ落とされる始末。運良く面接にたどり着いてもやっぱりお祈りされる。最終面接も、1社を除いてよくわからない理由で不採用でした(まだ理由があるだけ万倍ましかもしれないけれど。なお1社はちゃんと理由があってこれは完全に売り込みかたを間違えてました)。
8月下旬はほぼ毎日面接を2件ほどこなしていましたが、いずれも実を結ぶことはありませんでした。いいダイエットにはなったと思いますが…
そうこう言っているうちに離職票その他もろもろがうちに届き、最後の給料が振り込まれ、気がつけば夏の終わりが近づいていました。
きっかけはボドゲオフだった
話は変わりますが、実は今年の2月ごろからボードゲームをやるオフを開いています。まさかこれが身を助けてくれるとは思っていませんでした。
そして時間も戻りますが、7月の末に開いたオフ会で、「実は…」と会社がなくなって仕事がなくなることをとある参加者に相談しました。その方は「自分のところはわからないけれど、知り合いに人が足りなくて困ってる人がいるので紹介しようか?」と言ってくれたので、二つ返事で時間を取ってくださいとお願いをしまいた。
2週間後くらいに、忙しい時間の合間を縫ってもらってその参加者の方と、人を探しているという方とお会いして、そこでどういう会社か簡単に説明してもらいました。激務そうではあったものの、地球がひっくり返るような天変地異でもない限り潰れることはないだろうなと思い、激辛カレーで涙を流しながらその場で履歴書と職務経歴書を渡して、「よろしくお願いします」と伝えました。業績悪化で2回も転職することになったのもあって、この点は本当に気にかけていたところでした。業務内容も私の職歴に近いところがあって、レベルが高そうではあるものの、なんとかやっていけそうだな、成長できそうだなと思ったのもポイントです。そして2週間後、私は第二新卒の説明会会場に潜り込むことになりました。
そして内定したけどさほど暇じゃないらしい
それから9月の間に面接を受け、無事内定をいただきました。運がよかったと思います。第二新卒なので、業務内容に近しい職歴を持っていたとはいえ、ちょっとしたスパイス程度の要素だったかもしれません。
素直に「困った」と言えるようになっていたのもあったと思います。私が何も言わなければ何も始まらなかったのですから。素直に自分の至らなさを認めて、どうにもならないと思ったことを告白した。それが効いたのかもしれません。
そこで素直になれなければ、いまだに先の見えない戦いをまだ続けていたことでしょう。
とはいえそれだけではだめで、相談した方がそれに応えてくれなければこうはならなかったはずです。いちばんは、ボドゲオフの参加者さんと、そのつてで紹介してもらった方のおかげかなと思います。本当にありがとうございます。
今は入社に必要な書類を集めるために奔走しています。無職には辛いやつもいくつかありますが、ほぼ毎日書類集めに出歩いたおかげで8割がたは集まりました。残りは実家に帰ったときに揃うはずなので、ほぼほぼ間に合いそうです。
退職した会社に思うこと
どちらの会社も、私が戻ることはおそらく叶わないでしょう。前の会社は会社そのものがなくなってしまいましたし、その前の会社とは業績悪化が遠因とはいえ、半ば喧嘩別れをしてしまいました。どちらも不満はあれどもそれほどではなく、少しずつ環境が上向いてきてさあこれから、といったところでやむなく会社を離れることになってしまいました。とくに前の会社のメンバーと別れることになったのは、私が頑張ったとしても運命を変えるのは難しかったかもしれません。あのときの私では、たぶん3回くらい死んでも会社を救えるかどうか微妙だったと思います。いろいろあってからだが変わってきて、無理がきかなくなってきたのでなおさらです。次があるのであれば、もう少しだけでも何かできることがあればな、と思うのですが、おそらくそんな瀕死の会社と向き合うような機会は当分ない方がいいかな。できればものをつくることに集中したいし、将来こういうことがあったとき困らないために貯金もしたいので。
今回は人に助けられた
ひとりでは生きてないんだなと思ってます。つらいときに支えてくれる人もいましたし、困ったときに助け舟を出してくれる人もいました。道を外れそうなときにたしなめてくれる人もいました。仕事にありつけるかどうかは自分の職歴や持っているスキルも大切ですが、人の巡り合わせと運次第なところがあるなーと思いました。いまはひとりではとても生活できる身ではないので仕方ないのですが、いつまでもおんぶに抱っこされ続けるわけにはいかないので、いますぐは無理にしても、なるべく近いうちに恩返しができればいいなと追っています。
Unity始めてました。
実は今の会社で触るのが初めてです。
今はどう思っているの?
あれから3ヶ月くらいが経ちます。エディターが時々落っこちますが、それでもなんとなーく板にはついてきたような気がします。なんともいえないもにょもにょした気持ちは相変わらずなんですが…
気がつくと増えるシングルトンクラス、UIとコードの分離がイマイチ上手くできない感じ、UIパートをやっているのでずっとエディターがクソと言い続けています。
実はゲームではなくてUI作っているので、なおさらなんですけどね。ただ、それでもそれなりに泳げるようになりつつあるので、あとは私がちゃんと割り切れるかどうかにかかっているという感じ。
雑感
管理クラスがあっちこっちバラバラになってしまうので、管理クラスをまとめられるといいなと思いますね…まとめるのが目的なので、別に静的クラスでなくて名前空間でもいいです。
あと、パフォーマンスチューニングを考える段階でなければ、フィールドをエディターで編集できるようにするのが楽といえば楽。アクセシビリティガバガバでモニョモニョしますが。
それから、仕方ないのかもしれないけれど、C#で書くときにプロパティがエディターから読まれないのはねー…なんかpublicフィールドが増えていくの見ていて複雑な気持ちになるので。
おわりに
たかが3ヶ月触っただけなのであまり偉そうなことは言えませんが、がしゃがしゃやっていくと動くものができていくのはどっちかというと楽しいですね。
しばらくはUnityをずっと触る感じになると思うので、それ系の記事が書けるかなーって思います。
そして月日は経ち…
今年は色々と身の回りのことが変わっています。
職場が変わりました。
転職して椅子も座り慣れないうちにオフィスが引っ越しました。はやい。もともと間借りしていたこともあって、少しお客様感がありましたが、今は1フロアまるまる借りているのでわりかし伸び伸びやれています。
仕事が増えました。
今は少し肩代わりしてくれている人がいますが…色々あって、今の案件でフルタイムで現場に張り付いていている社員が私だけになってしまったので、色々増えています。関わっている人はたくさんいますが、私は手の届く範囲で他の人の進捗を聞いたり、青果物を見たりしている立場になりつつあります。わりかししんどい。
医療費辛い。
なお順調に医療費控除がつくコースを辿っている模様。
何でかかってるかは本人に聞くかお察しください。最近だと
今日のダイジェスト:おさわり1回7,000円(さわらせた方が払う)
— ゆうなんとかはこれからもやめない (@yuu_hara) 2015, 5月 19
とか。
貯金始めました。
小銭を貯金箱に入れるようにしています。どっちかというとお金を貯めるためというよりは、みみっちい小金を使わないようにするためにやっています。
その日家計簿をつけたら小銭をシュートしていると、100円使おうが1000使おうが気分としてはそんなに変わらなくなってくるので、なるべく単価を大きくしようとなるわけです。実際無駄な買い物がなくなったような気がします。今年は何かとお金がかかるので、ある程度お金の流れを見ておかないと絶対詰みそうですしね。
頭がいっぱいいっぱい
実はここ数年、年に1度くらいの割で人目をはばからず大泣きしています。
2015年は今日でした。文字に疲れて眠くなるまで泣かされたのはたぶん初めてですね。
今も頭がいっぱいいっぱいになってて、どっと疲れが来ています。
なんだろう…思っていたよりもいい方向に違う言葉が返ってきたので、尚更でした。
どうしてもさけては通れない相手のひとりだったので、素直にうれしかったです。
LINQ to Entitiesではまったところとか
今の会社とは違うとある案件でEntityFrameworkを使っているのですが、なぜかやたら遅くて、原因がわからずじまいでした。
今日はその原因と、そのほかはまりどころがわかったのでメモです。
発行されているクエリを確認する
これができないことには原因の調べようがありません。
とりあえずデバッグログに放流するには
using(var context = new DbContext()) { context.Database.Log = Debug; }
という感じでDebugクラスを渡しておくとできます。
クエリが実行されると
Opened connection at 2015/03/03 20:20:38 +09:00 SELECT .... -- p__linq__0: '*******' (Type = String, Size = 4000) -- Executing at 2015/03/03 20:20:38 +09:00 -- Completed in 52 ms with result: SqlDataReader Closed connection at 2015/03/03 20:20:38 +09:00
といった風に
- 接続した時刻
- 発行されたクエリ
- 変数(あれば)
- クエリを実行した時刻
- クエリのコンパイルに要した時間
- 接続を閉じた時刻
が出力されるようになります。
今回ミスってた原因
ちなみに今回の原因はプロパティのgetterにそれ書いていたことのようです。
外部キーとかなかったので、せめてそんな感じでアクセスできたらなーというほんの出来心でした。
これにより、プロパティの思った通りのクエリが構築されておらず、getterの部分に書いてあった最低限の制約条件でSQLのクエリが発行されてしまい、その結果大量のレコードがやりとりされ、それらがメモリによっこいしょと載せられて、ごりごりとリソースを消費しながら計算・集計されていた、というわけです。
その辺に気を付けながらクエリ式を修正しつつちゃんとSQLにコンパイルされるようにすると、3分かかってた処理が3秒になりました。メモリも数GB使っていたものが数十MBまで減りました。
あれが使いたいこれが使いたい
IN
`.List
LIKE '%hoge'
`String.StartWith(string)` や `String.EndWith(string)`
が使えます。 `String.Contains(string)` の場合、最初と最後に「/」を書くとそれが「%」になるようです。
MiN、MAX、COUNT
LINQのMin, Max, Countでどうぞ。
Left関数
今日初めて知ったのですが、渡した文字列の左から、指定した文字数だけの文字列を返すという関数です。
これをEntitieFrameworkで使うには、 `System.Data.Entity.DbFunctions.Left(string, left?)` を使います。