ゆうなんとかさんの雑記帳的な。

Twitterで踊ったり音ゲーしたりしてるあの名前がよくわからない人が書いてるらしいよ。

「デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話」をしてくれたあなたと同い年の私から

きっかけ

デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 - インターネットもぐもぐ
かなり前の記事なのですが、同い年らしいid:haruna26さんの記事を受けて書いてみます。

生まれたとしとか覚えてることとか

1989年について

ちなみに私は平成が始まって3週目の金曜日に生まれました。
任天堂100周年のこの年には初代ゲームボーイが生まれ、日本で初めて市政を始めた市も100周年。きっと各地で記念式典があったのでしょうね。11月にはベルリンの壁が崩壊し、冷戦が集結。日本の株価が絶頂を極め、あとは坂を転げ落ちていく…そんな年だったようです。

覚えていること

覚えている中でかなり古い記憶を引っ張りだしてくると、眩しいところで馬に乗っているところか薄暗いところで血まみれの自分の手を見て泣いてるところが出てきます。ひどい皮膚炎だったようでいじめのネタにもされました。今でこそそれなりにマシではありますけれどね。
なお、やっぱりといいますかあんまり男の子然とした子どもではなかったようです。
覚えている最初の事件といえば阪神大震災。珍しく真夜中に目が覚め、祖父母がテレビを慌ただしくつけると火の海になった神戸が映しだされていました。ちょっとあんまり覚えてませんが、断層が近くを通っているのもあって、他のところよりも揺れたかもしれません。

子どものころ

アニメとか

アンパンマンとしまじろうとディズニーとセーラームーンに囲まれて育った。

神風怪盗ジャンヌ」はもう鉄板。今もよく話題に出る。

あなたとは話が合いそうです。
小学校のときといえばほぼ「おジャ魔女どれみ」の面々と一緒に卒業だったと思います。イベントもタイムリーなものが多かったので、一緒に泣いたり笑ったり、ときどき羨ましかったりしたっけなぁ…
まんがはあれこれ散発的にチェリーピックしてました。コレクションするって気分じゃなかったと思います。本格的に集めるようになったのはやっぱり自分で稼げるようになってからですね。
一方CDはそれなりに集めていて、aikoとアジカンのアルバムやシングルを買っていました。売られてなければいまでも実家にCDがあります。

学校とか

小学校に入学して、たしか中学年くらいのとき土曜日が休みになりました。それはでは隔週で半日授業があったんですよね。ちなみに中学の時に1年だけ復活して、また休みに。
小学校高学年のときの先生がなかなかセンセーショナルで、いろいろな革新を残して行きました。良くも悪くも(概ねいい方向に)色々とぶっ壊していってくれた、思い出に残る先生です。

習い事とか

習い事は地元の私塾のほかはそろばんだけやってました。一時休止はしたものの高校まで通いつめた結果初段を持っていますが往時ほどの計算力はもうないかも…ほんとは楽器がやりたかったのですが、これは親の意向で叶わず、大学までおあずけとなりました。運動はからっきしダメだったのでインドアでがんばろうと思っていたのですが…おかげさまでそれなりハードワークをこなせる体力は付いたのですが、やっぱり今でも運動は嫌いです。楽器が触りたい。ドラマニじゃなくてエレドラじゃなくてアコドラ叩きたい。

ビデオゲームとの出会い

初めてのゲーム

初めてゲームをやったのは3歳くらいのとき。同じ頃にパソコン*1を触りました。「Super Depth」*2や名前を忘れたけれどその他絵合わせゲームのようなものを弟たちと取り合ってやってましたね。

ゲームボーイとの出会い

ゲームボーイを触ったのは小学校に入ってからでしたね。初代ではなく黄色のポケットでした。買い与えてもらった名目は忘れましたが、きょうだいの共有財産となりました。星のカービィを誕生日に買ってもらったのを覚えてます。この世代には珍しく、RPGのポケットモンスターを遊んだことはありませんでした。ポケモンをやっている友だちの横に張り付いてあれこれ言ってはいましたけどね。もちろんポケモンは初代の151匹を全員言えましたし、パズルやピンボール、カードゲームとしてのポケモンは遊んだことがあります。

据え置きゲーム機との出会い

一方高学年になるとNintendo 64が我が家に来襲。「スマブラ」「時オカ」で膨大な時間を潰し、友だちや兄妹と喧嘩しては仲直りの日々が続きました。
中学の頃にはゲームキューブ*3、大学に入る前くらいにPS2と入れ替わり、今は埃をかぶったPS2が遊んでほしそうに箱に収まって埃をかぶっています。

私のゲーム機

私が専有できるゲームハードはPSPが最初で最後です。もじぴったんがどうしても遊びたくて貯金して買いました。結局全部クリアすることなく売ってしまいましたが、なかなか面白いゲームでした。

アーケードゲーマーデビューは雨の神戸

今はもっぱらアーケードゲーマーですが、そのきっかけは高校1年の遠足。雨の日の神戸だったと思います。時間が余ったのでクラスメイトと一緒に太鼓の達人を遊んだのがきっかけでした。それ以前にも太鼓は遊んだことがあったのですが、やっぱり直接のきっかけはこれです。そこからは近くに太鼓を叩けるゲーセンがなかったのですが、ほどなくして住宅地と商業施設が実家の近くに建ち、そこに併設されたゲームセンターに太鼓があったので、暇なときには叩いていました。大学に入ってからは通学路にあったゲームセンターでときどき太鼓を叩いていましたね。腕がたくましくなるのが嫌だったので実家を離れて程なくしてやめて、今はご承知の通り他の音ゲーで遊んでいます。

パソコンとの出会い、インターネットとの出会い

インターネットを使っている人を見たのは幼稚園の頃。父親が新しくやってきたパソコン*4でAmazonで何か見繕っていたのを横で見ていた記憶があります、記憶違いかもしれませんが。私が自ら何かをやっていくのは小学校に入って高学年になった頃。小学校の一室が「コンピュータ室」に改装され、PCをつかった授業が始まったのとほぼ同時期でしたね。その頃には自宅のPCも新しくなりました。ただし、この頃はあまり積極的にPCを触ることはありませんでした。なんか父親が怖かったので。
自宅で本格的にインターネットと触れ合うのは中学校に入ってから。父親がYahoo!でボードゲームに興じていたところを横目で見て、真似してアカウントをとったのがきっかけでした。そこからは主にゲームに、ときどき調べ物に使う感じでPCやインターネットと付き合っていました。ネットで育んだ人間関係が、何気ないきっかけをもとに一瞬で崩壊するさまはこのとき、当事者として体験しました。今でもよく覚えています。
初めてブログを立てたのが高校のときで、そのときHTMLとCSSを少し勉強して、できる範囲で装飾を施していました。無駄に色を付けていた痛い記憶が蘇ります。
さて、大学に入るとパソコンをプログラミングの道具として使い始めます。実家のPCでVisualStudioを動かそうと試みるもののまったくスペックが追いついておらずいらいらが募ったため、演習課題はなるべく大学で終わらせるようになりました。

携帯電話との出会い

携帯電話を持ったのは高校2年の10月3日。この日に契約を申し込み、6日に本体を取りに行きました。この日に至るまでがすごく大変だったので覚えています。高校入学のときからあれこれ親を説き伏せるアプローチを考え続けては轟沈して涙し、作戦をねってはつきひが経ったので…修学旅行が新しく手に入れた携帯電話のデビュー戦でした。もっとも、このときはパケット代が定額ではなかったので親との連絡程度にしか使ってませんでしたが…大学に入るとパケット代を定額にし、めーるもそこそこ頻繁にやり取りして、mixiで何かを書き込んで…といった感じになりました。2chに書き込みをしたのも大学に入ってから。携帯からの投稿規制も緩かったので、電車に乗りながらν速+やお題系の板、プログラミング板に出入りしてときどき書き込みしていました。韓国経済がピンチと聞いてからは市況2板のウォンドルスレもときどき見ていました。今は音ゲー板やニュー速+にときたま出入りするくらいです。

私のコンピューター

初めて自分のPCを手にしたのは実家を離れたときでした。このマシンはPen4時代の型落ち品とはいえ、初めて自由に使えるマシンを手に入れたので嬉しいものでした。画面は今住んでいるところの近場にあるPCショップで入手したワイドディスプレイ。3年ほど連れ添って来ましたが、いまはIOデバイスの他は去年の3月に組んだ自作PCに環境を引っ越しました。

今は…

そして2009年秋、


あとは
ゆうなんとか@ジョウト地方(@yuu_hara) - Twilog
↑こことかこのブログとか見ると捗ると思います。

*1:PCそのものが来たのはもう少し前の話。PC9800シリーズのPCで、テレビがみれたディスプレイは一昨年まで実家の応接間にあった気がする

*2:そのときは名前がわからず「おふね」っていったと思います。去年AndroidとFlashに移植されたSuper Depthを発見して奇跡の再会を果たしました

*3:やっぱりスマブラは鉄板

*4:今でも実家の倉庫に眠っており、そばにWindows 95のパッケージが転がっているため、Windows 3.5をWindows 95にアップグレードしたものと思われる