ゆうなんとかさんの雑記帳的な。

Twitterで踊ったり音ゲーしたりしてるあの名前がよくわからない人が書いてるらしいよ。

インターネットが世界を広くしてくれた人、インターネットで世界が広がらなかった人


この夏にわかに流行したTwitterで「やらかしちゃった」人たち。
夏休みも終わり(終わっていない人もいるでしょうが)、落ち着くのではないかと言われていますが、なんでこうなってしまったのでしょう。
いろいろ言われていますが、私はこう思います。

インターネットは使う人によってはたしかに世界を広くしてくれます。かくいう私もそのひとりでして、Twitter経由でこれまでに何人、何十人と趣味の合う人と時間を過ごしてきましたし、オンラインで仕事を手に入れ、生活をすることもできるようになりました。そこまでではなくても、なんとなく感じていた閉塞感が少しだけ楽になった、同じ悩みを持つ人の声が聞けて少しだけ気持ちが前向きになったかも、なんて方は多いと思います。それだけインターネットの世界は広大で、しかしその距離感をものともない「画面の向こうのあなたの世界」へのリーチのしやすさがあります。これをうまく使えた人は「手の届く範囲」が驚くほど広がっていく気がします。「気の合う人同士、ちょっと会って話がしてみたいな」といった気持ちがある人なら、ひと目見ようと遠いところへ旅に出かけたりしてしまうかもしれません。「向こうのあなたの世界」にある、自分の身の回りには無いようなものが広がる世界が気になって、思わず家を飛び出した人だっているかもしれません。そこからまた新しい「何か」に触れてみたり、自分の至らなさ、素敵なところを確認したりできる人もいることでしょう。手前味噌ですが、こういうことを書けるのも私が「その広大さ」を実感しているからでもあります。

一方、インターネットが「広大である」と思っていないとどうなるでしょう。たとえばインターネットに携帯のメールから入った場合のように、あくまで電話のように「身内同士をつなぐ便利な何か」であると漠然と思ってインターネットに触れている場合。「閉じたインターネットの世界」にいると「思っている」彼らには、まさに今回の一連の事件は青天の霹靂なのではないでしょうか。「身内だけの世界」だったはずなのに、突如として顔も見知らぬ誰かがその世界に介入してしまう。たちまちその一部始終が世界中に見えてしまっていった、そう見えているのではないでしょうか。あるいは「身内だけで完結してるだなんて思ってなかったけど、まさかそんな広い世界だとは思ってなかった」、と。
「進撃の巨人」的に例えると、彼らにとっては100年ぶりに巨人によって壁を破壊されたような衝撃的気分ですが、実はそんな壁なんて最初からなくて、その一部始終は外から見えていた、といったところでしょうか。ないはずのプライバシーという壁があると思い込んで、そして「壊された」と思っている、というわけです。

ことTwitterが「バカ発見器」とまで揶揄される程にこういった事件が頻発するのはそのデザインにあると思います。Twitterの使い方は人それぞれですが、共通の趣味を持つ身内が集まりやすく、過去のことは見えにくいシステム、まるでプライベートな掲示板のような閉じた世界に見える*1アピアランス、このあたりが誘発の一因なのでしょう。
ではSkypeやLINEはどうなのかというとこちらも誰かがリークしてしまえば似たようなことになるでしょう。誰もリークする気がなくても、先の殺人事件のような大事に発展して、警察機関に開示を求められればプライバシーなどないも同然です。内輪話であったはずのチャットログが全国のお茶の間にセンセーショナルな煽り文句とBGMとともに配信されたのち、インターネットのいずこかに永遠に記録されてしまいます*2

あまり話がまとまっていませんが、今回の一連の事件についてそろそろ一言言っておきたかったので書いてみました。こういった事件が起きないようにするには、それなりの責任感とそれに見合った対価を支払うのが、実現は難しいけれど特効薬だと思うのでなんとも言えないですね。彼らにはペナルティを課すにしても、いずれ再起できる機会が与えられるといいですね…

*1:非公開アカウントなら正解ではあるけれど、そうでなければ全世界に向けて井戸端会議の生中継をしているようなものであることは言うまでもなかったりする

*2:このへんはマスコミの報道姿勢も問題があると思いますが